2009年4月30日木曜日

Kimono 製作室


着物は高い。 でもいくら安い人件費で海外でミシンで縫ったとしても フルオートメーションは難しいだろうから それなりの費用はかかり、素材も反物では現代人の体型で一着につき最低でも12メートルは必要なので当然ながら高い。 
でも洋服と違ってサイズが変わって全く着れなくなるという事は稀なので一度買えばコストパフォーマンスは良い方では無いだろうか。 着物を着慣れてくるとやっぱり化繊よりは天然素材が肌にやさしく着心地も抜群。  絹はアメリカで安心して着物をクリーニングには出せないので、アメリカ向きの普段着着物と言えば家で洗える木綿かウール。
そこで木綿について少々調べた結果、遠州木綿という浜松で作られた木綿の反物を買った。なな色紬という色目が夏向きで単に時期に丁度よさそう。 
『ぬくもり工房』さんという織り元からネット経由で購入したのだがお店へのメールの問い合わせにも丁重な的を得た返事が帰ってきたり、お店のサイトも製造過程がよく説明されており 購入者からの手作り作品の写真集も掲載されていたりしてアットホームな雰囲気がとても良い。
ネットと伝統工芸品の接点。 おもしろい。 私もぬくもり工房さんもネットを使用しなければ結局お互いの接点が何もなかった。 伝統工芸品もネットで幅広い世代に情報提供をどんどん出来ればいろいろな日本全国各地の地元自慢の良い品は売れるだろう。

前置きが長くなってしまったが、日本から来た木綿の反物を自分で着物に仕立てる事にした。
メインの理由はお仕立て代をケチった為。 もう一つの理由はある程度の和裁を知っていれば既製品の裄直しや丈直しを自分で出来るかも!と言ったこれまたケチな理由。
初めはリビングで作業をしていたらいつの間にか落としたまち針を自分の足に刺して涙するアホな事態に発展した為、急遽二階の一室を着物製作所にしてもらいました。
邪魔な物は捨て床も雑巾がけしてピッカピか。これで何か床に落としても一目瞭然で大丈夫。
先週、裁断から始め今日現在まではテキストに従って全て手縫いで縫い進めあとは衿と袖を付けるのみ。 縫いで一番難しかったのは本くけ。 これは縫い目が表にも裏にも出ないよう縫う方法で慣れるまでは縫い目が表にも裏にもガンガン出ました。 裾をくける頃になると何とかすこしはマシな本くけが出来るようにはなりましたが。 ミシンも購入しましたが今回の出番はありませんでしたね。
 

2009年4月24日金曜日

罰当たり

昨日は友人が夕食がてら遊びにきたのでドウ-から自分で作ったホームメードピザをつまみにIrish Redという地ビールでおしゃべり。

ピザで思い出したのだがあれはイースターの週の金曜日。 この日は休みだった夫と買い物や用事を済ませ遅い昼食を食べにイタリア料理店へ寄った。 ここRomeではその名のごとくイタリア料理店が多い。元からイタリア系移民が多く今でもダウンタウンの店舗はイタリア人の独占状態と言っても過言ではない。
こうイタリア料理店ばっかりだといい加減あきてきて近くにイタリア料理店以外のものもあったらいいのに、、と思うが先日も近くのビジネス街にイタリア料理以外の料理店を建てようとしたら地元の有力者から大反対にあって撤退したという残念なニュースを聞いた。 ここは自由の国のはずだが、、。

話がとんでしまったが、遅い昼食で大きなピザを注文してビールを飲んでいると後ろの方から『神をも恐れぬ罰当たり者め!』という、何だか非日常的な凄い言葉が飛んできた。 周りを見ても他に客はいないので罰当たり者とは私たちの事らしい。
確かにその日はブラックフライデーと呼ばれるイースター前の金曜日で肉を食べず、粗食にいそしむ日ではある。でもこれはカトリックだけの話。 プロテスタントの夫にはその習慣は無い。
夫が苦笑しながら『今まで生きてきて罰当たり者呼ばわりされた事は無いよ!』 と言ってよく見てみると後ろに店の関係者ともお客とも見えるおばあさんがいてウエイトレスをまくしたてている。 あまりの高齢さにさすがに夫も言い返すのをやめたようだ。 
だが、すぐにウエイトレスが飛んできてきてあやまられた。 あのおばあさんは店にフラッっと来てお客に難癖をつけるのでほとほと困っているのだが オーナーの血縁関係者ゆえ誰も追い出せないのだそうだ。 しかも耳が遠いので声が大きく言う事全部お客に筒抜けでいつもあの調子なので本当に困ってしまう、、とため息まじりに言うウエイトレスの愚痴を聞いてあげるはめに。
アメリカにもいた意地悪ばあさん!でした。

でもピザはおいしくビールもセレクトされた地ビールが置いてあるので意地悪ばあさんにもめげずに またちょくちょく行きたいお店ではあります。

2009年4月21日火曜日

夏を待ちきれず、おばあさんの浴衣




写真をオートで撮ったら仕上がりが全体暗めになってしまいました。季節の早い幽霊っぽい写真をどうぞ。

叔母さん、でも自分にとってはお祖母さんのような人から浴衣(おばあさん曰く寝巻き)をもらった。 
いろいろなとんでもカラー爆発の市販の浴衣が出回っている今日このごろ。 
この浴衣はこれぞ浴衣(又は旅館の寝巻き)クラッシクと言えるモノトーンのすすきやキキョウ柄。 夏の暑い日の夕方、シャワーを浴びた後にサッと羽織ってビールをいただく時にピッタリ。 
今日は少し暖かくなりそうだったので夏を待ちきれず長襦袢の上から初めて袖をとおしてみると、、なんて柔らかく軽いんだろう。 なんとなくシャリ感があるのは糊が利いているせいかそれとも麻混なのだろうか。 これが寝巻きだなんてもったいない、この辺りでは着て出歩いても大丈夫そうだ。 見た目にも涼しげなのが良い。 夏には手放せない一品になるだろう。
こんな良いものをくださったおばあさんには感謝です!

そんな事をしているうちに今朝コロラドスプリングスへ発った夫から無事着いたと連絡があった。 コロラドスプリングスの標高1800mもある所にNORAD本部がある。 それ程標高があっても今日は25度にもなり暑いそうだ。

2009年4月18日土曜日

はじめての抹茶

今日はSyracuseへ夫と買い物へ。
夫はスーツを買いたかったのだが結局欲しいものはみつからず。

Syracuseには日本茶の喫茶店がある。 この間Syracuse在住の日本人のお友達に着物を着付けしてあげて 一緒にこのお茶屋さんへ行ったら女将さんがとてもよくしてくださった。
テーブル席と座敷席に分かれていて前回は座敷席だったので今回は窓際のテーブル席についた。
京都出身の女将さんと雑談しながら夫とおそらく50種類以上もあるお茶やデザートメニューを見ていると夫が抹茶を飲んでみたい言い出した。 
メニューには甘いデザート系の抹茶しか載ってないが、それではと茶道をしている女将さんが裏メニューで自分で抹茶を立ててくださった。
夫は本当のお抹茶と甘味。 私は邪道で甘い方の抹茶ラテと抹茶ケーキ。

目の前でたててくれた夫の抹茶はほのかに甘く美味でありました。 下手に立てると苦いばかりの抹茶になってしまうのでクリーミーに苦くならないようたてるのは勉強と経験によるものだそう。
夫にとってもはじめての抹茶はおいしいとびっくりしていた。
日本へ行った時にはお茶をたてるセットを買って帰ることになりそうだ。

ただおかしかったのは夫の抹茶とお菓子が運ばれてきた時、夫の目が点になってた事。
夫が目で訴えている事=量の少なさ!は理解できたので吹きそうになった。日本では抹茶を茶器に満杯には盛らないので当然なのだが知らない夫は女将さんが奥に戻ったあと、『どうして~こんなに少ないんだ~』を連発。
器一杯になるまで盛るのは美しくないし、日本の料理は目で楽しむものでもあるんだよ!って言っても納得できない夫でありました。 
このお店の茶器も美しく自分はお腹も精神的にも満足しました。(夫は?)

ちなみにこの日も古い生成り色の絹の紬に帯は白い織りの半幅帯(でも化繊です)、帯締めは春らしく若草色にしてみました。 この生成り色の紬は仰々しくならないのでとても重宝しています。 
オークションで買ってこちらに届いた時には古い着物特有のにおいでどうなる事かと思いました。 また色も本当は白だったのが き黄ばんで生成り色になったのかも不明。 
匂いは1週間くらい短時間に分けて日陰干ししておく事とタンスへ入れずにしばらくは風通しの良い乾燥した部屋へ置いておき、その間、家の中で何回か着たらほとんど無くなりました。 長時間干しっぱなしにすると着物の表と裏の袷の生地がずれるからと着物のお師匠さまから注意も受けたので。
色は均等に生成り色になって入る所をみるとどうやら元からこういう色だったようです。(よかった~!)
しつけ糸も付いていたのでどういう経緯でオークションへ出ていたのか分かりませんが 今では愛着のある自分の一枚になりました。

着物としては普通外国人が思い浮かべる派手な色柄の着物でなく、地味な紬なのですがそれでもやはり着物=日本とは浸透しているようで、夫のスーツを見繕った店先でも店員さんから日本の話を振られたり、昼食をとったお店でも他のテーブルのお客さんから素晴らしい着物ですね(はは、オークションで1000円程で買いました!) 一度日本へ行ってみたいと言われたりと着物の認知度は高いです。

2009年4月15日水曜日

惚れ直し

ボストン在住の大学時代の友人が母校の大学院のクラスへ講演に来た。
そのクラスでの講演終了が夜の9時だったが仲の良かった三人でその友人が宿泊するホテルのバーへ押しかけて急遽プチ同窓会になった。 
私はこちらのネットオークションのEbayで落札した古い絹の紬着物で参加。ちょっと古い、元から黄色っぽい生成り色だったのかそれとも古ぼけてそういう色になったのか分からない紬だけど割りと気に入っているものの一枚。 
明るいバラ色の半幅帯をきりっと矢の口結びにして細い黄色の帯締めを留めると 古い着物がモダンな感じになるのでそのギャップが好きだ。

いろいろと昔話で盛り上がり日付けが変わるちょっと前には惜しみながらもお開きになった。
しかし駐車場で車を出そうとしたらエンジンがかからない。ホテルの駐車場が明るかったので間抜けにもヘッドライトをつけっぱなしにしてしまいバッテリー切れ。 誰もジャンパーケーブルを持って無かったのでホテルからAAA(アメリカ版JAF)に電話をして来てもらった。
仕方ないので家へも連絡すると 夜勤務の夫も既に帰宅していて(シマッタ、本当は夫の帰宅前までには帰る予定だったのだが、、) 大事は無い事を知らせると先に寝ているとの事だった。
ホテルを出たのは1時過ぎ。久々の夜遊び。

ドライブウェイを入ると窓から一階の明かりが付いてるのが見える。 あれっ寝てるって言ってたのに起きてるのかなと思ったが起きている気配は無い。 二階の寝室を覗くと寝息が聞こえる。
普段は口うるさく消灯を言う夫なのだが、、。
次の日、電気つけっぱなしだったよ~と言うと『ああ、あれは真っ暗な家に一人で帰ってくるのは寂しいだろう思ってわざとつけておいたんだよ』
夫ってば、もうまた惚れ直してしまった。

2009年4月12日日曜日

たすきがけ

『たすきがけ』と言えば討ち入り、武道の稽古、そして掃除を思い浮かべる。

家で着物を着てキッチンに立つときは水屋着(要は割烹着)を着ているが割烹着を着るほどでもない掃除をちょっとする時に袖が邪魔になり結構困っていた。
しかし その悩みはたすきがけをする事で解決。 これで袖はひらひらしない。
これでハチマキでもすれば週末に実行する討ち入りで宿敵の汚れと対決する気合も入ろうと言うもの。 要は遊び心が大切なんだよね~。 
でも着物着て襷がけして掃除してる姿を見て午後家に帰ってきた夫がびっくりしてた。 昔の人は着物着て普通に生活してたのだから何でも出来て当たり前のハズ。
彼とは一階から二階まで時々競争したりするが着物着て追いついた事もあるのだ。ってどれだけ大股で走ってるんだよ、、と人には見せられない姿だが。 

2009年4月10日金曜日

ブラックフライデー

アジア食品店で買ったサツマイモ。
よく洗いアルミホイルで包んでオーブンで一時間程焼くとあの焼き芋に近いものが出来る。
ちょっと長めに1時間半焼くと中がとろりと溶け柔らかくて甘さ倍増する。
何も加えない自然の甘さが心地よい。

さて、今日はブラックフライデーと言われるイースターの前の金曜日。
あちこちで子供向けのイベントが行われており空軍基地でもこの日は敷地内でイースターの宝探しならぬタマゴ探しが行われる。 あちこちに隠してあるタマゴ(おもちゃのタマゴで中には子供が好きなお菓子が入ってる)を子供が探す趣向。 楽しそうなので子供がいる振りして参加したりして。

そう言えば子供がいなければ行けない所の一つにPetting Zoo がある。
動物園とはまた違いほとんどの動物を放し飼いにしていて危険でなければ触ることも出来る。夫に行きたいと言ったら子供無しで行くなんて変質者と間違われるからいやだ!と言われた。 それだけ子供連れが定番らしい。 
彼は彼でチャっキーチーズ という大規模な子供向けゲームセンター施設で半分はゲーム、半分は大人が子供を待っている間飲食できるカフェテリアへ行きたいらしいが そこも子供がいないとちょっと変な人になってしまうのでがまんしているらしい。 

2009年4月7日火曜日

春の雪

今朝起きてみると外は雪。
また気温一桁へ逆戻り。 日本の桜の写真を見たあとだったから余計に寒く感じる。
1週間前の暖かかった日にうぐいすに似た鳥の鳴き声を聞いた。 ただし鳴き方は『ホ~ホケキョ!』ではなく『オゲ~キョ!』又は『ゲキョ~~!』 で あまりかわいくない。
さて最近家にこもって居たが週末の日曜日は夫が勤務へ出かけた後、大学時代の親友と家でお茶をした。 デッキに面した部屋へゴザをしいてアメリカ人の友人にも正座を強要して緑茶をすする。 でも正座は私も3分と持たず、お互いクッションをお尻に敷いてごまかす。
友人が持ってきてくれたお菓子:親友は料理ができないくせにレシピに従わない、すぐオリジナルを作りたがる癖(愛のムチ!何度言っても聞かない)で見た目はかなり不味そう~(もちろん本人にも言った)な感じだったが食べてみると結構まともでおいしかった。 
友人は以前、夜遅くまで働いていた頃、職場へ差し入れを持って遊びに来てくれた事もあった。差し入れは自作のカレー。
見た目から不気味な予感はしていたがあまりの不味さにぶっ飛び聞いてみるとやっぱり途中からレシピに従わず自作してしまったとの事。 あの時は経験を積むまではレシピに忠実に従ってよ!って口すっぱくして言ったなぁ。

お茶をした後お互い暇をもてあましていたのでSyracuseへ買出しへ付き合ってもらう事にした。
アジア食品店では米を20キロ程とサツマイモを買った。 オーブンで一時間程焼くだけでおいしい。
ついでにTokyo-Seoulというこれまた和韓レストランで夕食取るとその友人の食べること食べること、、。自分も大食い選手権に出れそうなくらい食べて夫を驚かすけれど友人もその上を行くツワモノだった。 自分は寿司と石焼ビビンバを食べてもうこれ以上食えん~と思ったら寿司セットと韓国風焼肉セットを食べた友人が注文したデザートはフライドアイス。 野球ボール大の掻き揚げ状の物がテーブルに鎮座していた。
その後さらにスタバに寄ってコーヒーを飲み、友人はまたそこでチョコレート系デザートを食べ。もう暴飲暴食の旅だった。
その後、Romeには無いデパ地下的なインターナショナルフーズを取り扱っているスーパーによりキッコーマン減塩醤油を買い無事帰宅。
あららもう11時になってました。
 

2009年4月6日月曜日

卵かけご飯再び

アメリカでは生卵を食べるのはよしとされない。卵の賞味期限も一ヶ月くらいもある。

日本に帰国して以来卵かけご飯とはおさらばだったのだが、とある江戸料理研究家の方のブログにおじゃましたところ卵かけご飯の記述があり それによればご飯は蒸さずに熱々の湯気がジャージャー立っている状態で といた生卵をかけると生卵がごはんの熱で半熟状態になり熱々をほおばるのが粋と出ていた。 

これだ! アメリカでも半熟だろうが要は卵は熱さえ通せばよい事になっている。
そこで今朝、冷蔵庫から昨日のご飯をだしてきたのは粋ではないが 電子レンジに長めにかけた。茶碗を触るのも熱く湯気が立つ熱々までかけた後、昨日買ったばかりのまだ賞味期限が一ヶ月もある卵をといて醤油をたらしご飯にまぜると卵がみるみる半熟状になった。
その熱々の湯気がたってる卵かけごはんを海苔で巻いて食べるとそこはもう日本。
ありがたい。

2009年4月4日土曜日

急に暑くなった昨日

家にて袷(あわせ、裏地の付いた着物)を着ているとなんだか暑くなった昨日でした。
着物の世界では6月は単(ひとえ、裏地なしの着物)、7月、8月は夏の薄着物 そして9月は単に戻ると言う約束事があるけれど 最近は5月に袷では暑くて単を着たり9月以降でも暑いから夏の薄物を着るという人もいる。 
地球の気候も変わってきているので着物も柔軟に時代にあわせて暑さ寒さは個人の感覚なので個人で決めて着ればいいと思う。
それでないと江戸時代の着付?昭和の着付?になってしまう。 昔から抜け出てきた人になってしまうより平成着物派でいたい。

それでもレトロな大正時代風に半襟をたくさん出して着る着方も好きでそうする時もあるけれど 日本ではとやかく言ううるさい人も多いらしいという事をウェブサイトで聞いたりする。  どうしてそんなに人の着方が気になるのだろう。 そう言う人は自分の着方、つまりは『昭和』の着付世界の決まり事こそが絶対であってそれ以外の着方は認められない器量の狭い人なんだろうと思う。
また、言われた方も自信をもって 『私は今日は大正時代の着方をしているんです。気にしないでください!』 とハッキリ言えないのだろう。 ウェブサイトで見ても お直しおばさんから注意されて悩んでいる人の多くはポリシーを持って着ているのにハッキリと言えないから本当に不思議だ。
全く知らずに半襟が異様に出てたとか出て無かったなどと言うのなら分かるが、ポリシーを持って着ているならあくまでも自信を持って着てほしい。 
あと、制服のように帯では皆お太鼓をしているのも滑稽だ。 お太鼓は元はと言えば花柳界の着方。帯は遊び。気分によって結び方を変えなくては面白くもなんともない。

今の昭和の着付絶対主義にとらわれないもっと柔軟な洋服のような自由な着方が広まると業界自体にも良いはず。 今の着付界の細かいルールは 窮屈な着付を世に広めた昭和期の先生方と利益第一に走ったほんの一部の呉服屋さんが作り出した物が大半と言うことを理解していないと大金をはたいて自分で自分の首を締めることになる。